2025年2月6日、私の大学での最後の試験が終わり、名実ともにほぼ間違いなく卒業することが決定しました。試験終わり、大学から家に帰るまでの時間の何とも言えない気持ちは何だったのでしょう。
現在22歳、今年は23歳になる年ですが、正直言ってこれからの人生をどのように生きればよいのかという漠然とした悩みがあります。こんなことを考えている時点で余裕があるのだとは思うのですが、ここから学生ではなく社会人として、何十年も働き続けることに何の意味があるのだろう、何のために生きるのだろうとどうしようもなく、そして解決することのない疑問が頭を悩ませ続けています。
穏やかに生きたい、人が持っていないものを所有して他者にマウントをとりたい、ワクワクするものを追いかけ続けたい、心が赴くままに、熱意に動かされるように生きたい、金を稼いで裕福な暮らしをしたい……
う~ん。これらのどれもがすべて合っていて、そのうえですべてなんだか違う気がします。もちろんお金はいっぱいほしい。あればあるだけ嬉しい。そのうえで穏やかに日々小さな幸せをかみしめたい。両腕にダブルロレックスなんかしちゃいたい。何かに没頭してそれを生きがいにできたらなんて素敵でしょう。
しかししかし、これらが本当にいい生き方と言えるのか、納得のいく生き方かと言われるとそれもまた疑問なのですね。結局答えはないのでしょう。どのように生きても絶対に死ぬときに後悔する面もあるし、満足できる面もある。死ぬときに後悔しないように生きる、なんて言いますがそれすらも詭弁であるようにしか思えないのですね。
毎日全力で生きる、これも素晴らしい心がけですが私には何とも荷が重い。どうしてもベッドから動けない日があります。たぶんホリエモンや西野亮廣のように、熱意をもって新しい何かが見たい。もっと素敵なものを作りたいなんて考えている人にはわからないでしょうね。
また、たくさんお金を稼ぎたいと思っても、行動できない日もある。おそらく青汁王子や与沢翼氏なんかはお金を稼ぎたいなら行動をすればいいというでしょう。金を稼ぐために努力をすればいいというでしょう。でもできない。それができない我々はそれをなす熱意がないということなのでしょうかね。
何のために生まれて、何をして生きるのか、わからないまま終わる。そんなのは嫌だ。
素晴らしい歌詞ですね。それが分かるなら苦労しないですが。
ここが最後の岐路な気がしています。ここで平凡に生きることを選んだら波は小さいですが小さな幸せがいっぱいある素敵な生き方ができるかもしれません。逆に大きく張ると決めたら波は大きいですが不幸も大きい生き方ができるかもしれません。
私に向いているのはどちらなのか、考えながらいったんブログを書くことだけが私のできることでした。
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